福岡地方裁判所 平成7年(行ウ)12号 判決 1997年6月25日
原告
甲野太郎
被告
北九州西労働基準監督署長多賀谷梧朗
右指定代理人
福山俊光
同
松山哲夫
同
西沢繁官
同
森山勝馬
同
上田浩司
同
木田千恵子
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告が昭和六二年五月一日付をもって原告に対してなした労働者災害補償保険法による療養補償給付をしない旨の処分並びに同月二日付及び同月七日付をもって原告に対してなした同法による休業補償給付をしない旨の各処分をいずれも取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
1 原告の旧傷病
原告は、昭和六〇年一二月二七日、当時勤務していた株式会社暮らしの友の会の業務としてバイクで集金中、訴外Aが運転する軽貨物自動車に追突されて頸部捻挫等の傷害を負い(以下「旧傷病」という。)、同年一二月二八日から昭和六一年三月三一日ころまで田中外科医院において治療を受けた。
2 原告の現傷病
ところが、昭和六一年六月一日ころになって頸部と左上腕の外側全体に強い痛みが発症し、その後も痛みが消失しないため、同月一二日に再度田中外科医院で受診して頸腰椎捻挫などの診断を受け、その後も、頸部、肩部、腰部などの強い痛みや左上肢などの痺れが憎(ママ)悪したため、右田中外科医院のほか、飯塚病院、飯塚整形外科医院、湯布院厚生年金病院、総合せき損センターなどで治療を受けたが、軽快しないまま今日に至っている。
3 本件処分の存在
原告が被告に対し、昭和六一年九月二七日、原告の右昭和六一年六月一日以降の症状(以下「現傷病」という。)が労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)にいう「業務上の負傷の症状の再発」に該当するとして、労災保険法所定の再発の申請をなし、療養補償給付等の請求(休業補償給付については昭和六一年一一月一五日付ほか五件)をしたところ、被告は右現傷病は再発に該当しないとして、昭和六二年五月一日付、同月二日付及び同月七日付で、労災保険法による療養補償給付及び休業補償給付をしない旨の処分(以下「本件処分」という。)をなした。
原告は、右を不服として福岡労働者災害補償保険審査官に対して審査請求をしたが、同審査官は平成四年一月八日付で、右審査請求を棄却する旨の決定をした。
さらに、原告が右審査請求棄却決定を不服として、労働保険審査会に対して再審査請求をしたが、同審査会は同七年二月一四日付で、右再審査請求を棄却する旨の裁決をした。
4 本件処分の違法性
しかし、原告の現傷病は業務上の傷病である旧傷病の再発であるから、これを否定して原告の前記申請を認めなかった本件処分には事実認定及び労災保険法の解釈を誤った違法がある。
5 よって、本件処分の取消しを求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1は認める。
2 同2のうち、原告が昭和六一年六月一二日、田中外科医院で再受診し、その後飯塚病院、飯塚整形外科医院、湯布院厚生年金病院、総合せき損センターにおいてそれぞれ治療を受けたことは認め、その余は知らない。
3 同3は認める。
4 同4は争う。
三 被告の主張
1 本件処分に至る経緯について
(一) 原告の旧傷病発生及び療養の経過
(1) 原告は株式会社暮らしの友の会の飯塚営業所所属の集金係として勤務していたものであるが、昭和六〇年一二月二七日午後五時五〇分ころ、自動二輪車で集金業務中、福岡県直方市<以下、略>の交差点において、訴外A運転の軽四輪貨物自動車に追突された。
(2) 原告は、同月二八日、福岡県飯塚市所在の田中外科医院に受診し、「頸腰部捻挫」の傷病名で昭和六一年三月三一日まで治療を受け、同日付をもって症状固定により治癒したとの診断を受けた。
原告はこの間休業することなく勤務し、治療費については、自動車損害賠償保険から支払われた。
(二) 原告の主張する旧傷病の再発について
(1) 原告は昭和六一年三月三一日治癒後、同年六月一日ころになって、頸椎と左上腕の外側全体に強い痛みが発症し、その後も痛みが消失しないとして、昭和六一年六月一二日田中外科医院で再受診し、「左尺骨神経痛及び変形性脊椎症」等の傷病名で外来治療を受けていたが、胃潰瘍の併発により同年七月一二日入院に転じ、同年九月三〇日まで社会保険による治療を受けた。
(2) この間、昭和六一年八月二七日には福岡県飯塚市所在の総合せき損センターに「腰部及び右項部痛」の傷病名で受診し、また、同年九月一九日には同市所在の飯塚病院に受診し、「変形性脊椎症」の傷病名で頸椎及び腰椎の単純X線撮影を受け、加齢による変形が認められている。
(3) その後、原告は、旧傷病の症状が増悪したとして、次のとおり、各診療機関を受診し、各傷病名で治療を受けた。
<1> 昭和六一年一〇月一日から同月二〇日まで
田中外科医院において「頸腰部捻挫、変形性脊椎症」の傷病名で治療
<2> 昭和六一年一〇月二四日から同六二年五月三〇日まで
福岡県飯塚市所在の飯塚整形外科医院において「腰筋痛、項筋痛」の傷病名で治療
<3> 昭和六二年六月一日から
大分県大分郡湯布院町所在の湯布院厚生年金病院において「頸椎後縦靭帯骨化症」の傷病名で治療
<4> 平成元年一一月二九日
総合せき損センターにおいて「頸椎後縦靭帯骨化症」の傷病名で治療
2 本件処分の適法性について
(一) 労災保険法上の「治癒」について
(1) 労災保険法の保険給付は、労働者が業務上の事由又は通勤による労働者の負傷、疾病、障害又は死亡に対し、その請求に基づき行うものである。そして、労災保険法一三条の療養補償給付は、政府が必要と認めた場合に当該疾病が治癒するまで支給するが、具体的には個々の傷病につき身体機能の回復に必要かどうかによって判断することとなる。また、同法四条の休業補償給付は、療養のため労働することができないために賃金を受けない場合に支給するものである。
(2) 労災保険法上の「治癒」とは、傷病による症状がすべて消退するなどいわゆる傷病が完治した状態を意味するものではなく、その症状が安定し、医学上に認められた医療を行ってもその医療効果が期待できなくなったことをいい、特に疾病の場合には、急性症状が消退し、なお、慢性症状は持続している場合でも、その症状が安定し、療養を継続しても医療効果が期待し得ない状態になったときをいうと解されている。
したがって、症状が現存していても、それが固定し、それ以上の医療効果が期待できなくなったものと判断されれば、治癒と認定されることとなる。
(二) 労災保険法上の「再発」について
(1) 労災保険法上の療養補償給付及び休業補償給付は、当該傷病が治癒するまで支給されるが、いったん治癒したと認定された後に、業務上の負傷又は傷病の再発があれば、これも当然労災保険の給付対象となるものである。
(2) ここにいう補償給付の対象とされる「再発」とは、業務上の負傷又は疾病にかかり、その傷病がいったん治癒の状態、すなわち負傷の場合は創面が治癒し、もはや療養を継続しても医療効果を期待することができない状態になったとき、疾病にあっては、急性症状が消退し、慢性症状は持続してもその症状が安定し、療養を継続しても医療効果が期待し得ない状態になった者について、その後に旧傷病との間に医学上の因果関係が認められる傷病が発生したときをいう。
(3) そして、ある傷病が既に治癒した旧傷病の再発であると認められるためには、他に発病の契機がない等の消極的な理由だけでなく、積極的に<1>新たに発生した現傷病と業務上の事由による旧傷病との間に医学上の相当因果関係の存在が証明され、<2>治癒時の症状に比し現傷病の症状が憎(ママ)悪しており、<3>治療を加えることによって治療効果が十分期待できる状態に変化したことの要件を充足するものでなければならないと解されている。
(三) 原告の現傷病について
原告の現傷病は自覚的病訴の多いのが目立つにもかかわらず、業務上の負傷の再発症状と認めるに足る医学的根拠は存在せず、症状が憎(ママ)悪していること及び治療を加えることによって治療効果が十分に期待できる状態に変化したことのいずれも認められない。
よって、原告の現傷病を労災保険法上の再発と認めず、原告に対して療養補償及び休業補償を支給しないとの被告の各処分は適法である。
四 被告の主張に対する認否
被告の主張1(一)(1)の事実は認め、その余の主張は全て争う。
第三証拠
証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録のとおりであるから、これらの各記載を引用する。
理由
一 争いのない事実
請求原因1及び3の各事実並びに同2のうち、原告が昭和六一年六月一二日、田中外科医院で再受診し、その後飯塚病院、飯塚整形外科医院、湯布院厚生年金病院、総合せき損センターにおいてそれぞれ治療を受けたことについては、当事者間に争いがない。
二 右争いのない事実並びに証拠(<証拠略>、原告本人)によれば、以下の各事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
1 原告の既往歴
原告は、昭和六〇年一月一七日、福岡県飯塚市所在の総合せき損センターにおいて「頸椎後縦靭帯骨化症」の傷病名で受診しているが、当日の受診のみで同センターでは特に治療を行っていない(<証拠略>)。
2 本件事故
原告は株式会社暮らしの友の会の飯塚営業所所属の集金係として勤務していたものであるが、昭和六〇年一二月二七日午後五時五〇分ごろ、自動二輪車で集金業務中、福岡県直方市<以下、略>の交差点において、訴外A(以下「訴外人」という。)運転の軽四輪貨物自動車に追突される事故(以下「本件事故」という。)に遭った(争いのない事実)。
本件事故は、原告が一時停止の標識に従って停止中に追突されたものであるが、右追突は原告運転の自動二輪車を若干前に押し出す程度のもので、右自動二輪車が転倒することもなかった(原告本人)。
訴外人が子供を保育園に送る途中の事故であったため、原告は訴外人の運転する軽四輪貨物自動車と保育園まで追走し、このときは若干の胸部痛があったほかには痛みはなかった。また、原告は本件事故当日の夕食時に吐き気を覚えたものの、嘔吐するには及ばなかった(<証拠略>、原告本人)。
3 原告の旧傷病
原告は、本件事故の翌日である昭和六〇年一二月二八日の朝、左腰部に痛みを感じたため、一旦出勤した後に訴外人指定の田中外科医院で受診し、以後同六一年三月三一日まで通院治療を受け、同日症状固定により治癒したと診断され、一旦治療を打ちきった(<証拠略>)。
田中外科医院での初診時の傷病名は「頸腰部捻挫」であり、当時の自覚症状は全身倦怠、肩凝り、嘔吐感及び腰痛であったが、原告は通院期間中も勤務を継続しながら、同医院で理学療法を含む鎮痛消炎処方を受けていたものであり(<証拠略>)、右症状固定時において頸腰部の痛みは軽快していたものの、左手指の先から左肘にかけて痛みが残っていた(原告本人)。
4 原告の現傷病
(一) 田中外科医院での治療(昭和六一年六月一日から同年一〇月二一日まで)
原告は、旧傷病の症状固定時から約二か月が経過した昭和六一年六月一日ころ、民謡の発声練習中に左手指の先から左肩にかけて痛みを覚え、その後右症状が消長(ママ)しないので、同月一二日に田中外科医院を再受診し「頸腰部捻挫及び変形性脊椎症」の傷病名で、注射・湿布投薬・グリソンによる頸椎牽引療法等の外来治療を受けていた。同月二〇日ころ、背中の中央部分を締め付けるような痛みと共に発熱・吐血し、胃透視検査を施行した結果、胃潰瘍と診断されたため、同年七月一二日には入院に転じ、食餌療法による治療を受け、同年九月三日に退院した。退院後も頸腰部捻挫の症状を訴えるので、同年一〇月二一日に転医するまで、牽引療法、温熱療法、電気療法及び針治療等の理学療法による通院治療を継続した(<証拠略>)。
旧傷病との因果関係について、田中医師は、「基礎的に脊椎の変形を認めるが、傷害がヒキガネとなって肩凝り、腰痛を引き起こしたものと思われる。一時軽快していた症状が悪化。」との意見を述べているが(<証拠略>)、右の症状悪化については、原告の訴えであって他覚的所見によるものではなく、症状固定時と同じ症状とみてよい旨述べている(<証拠略>)。
右入院期間中昭和六一年九月一九日には飯塚市所在の飯塚病院に「変形性脊椎症」の傷病名で受診しているが、特に治療は受けていない(<証拠略>)。
(二) 飯塚整形外科医院での治療(昭和六一年一〇月二四日から同六二年五月三〇日まで)
福岡県飯塚市所在の飯塚整形外科医院において「腰筋痛、背筋痛」ないし「腰筋痛、項筋痛」の傷病名で受診し、局部筋肉注射、超短波、項部及び腰部への湿布、消炎鎮痛剤投与等の通院治療を受けた(<証拠略>)。
当時の自覚症状は背・腰部の疼痛であり、他覚的所見は特に認められなかった。旧傷病との因果関係について、担当の大熊医師は、受傷より一〇か月以上も経過しており、他覚的所見も特にみられないため、診察及びX線所見からは因果関係は分からない旨の意見を述べている。右治療期間中の症状は一進一退であった(<証拠略>)。
(三) 湯布院厚生年金病院での治療(昭和六二年六月一日から―日数不明)
大分県大分郡湯布院町所在の湯布院厚生年金病院において「頸椎後縦靭帯骨化症」の傷病名で受診し、消炎鎮痛剤、筋弛緩剤及び胃薬の内服処方並びに温熱、プール浴及び体操等の理学療法による通院治療を受けた。当時の自覚症状は頸部から背部への痛み及び両上肢への放散痛様の疼痛であり、レントゲンでは後縦靭帯骨化症の所見が認められた。症状については、理学療法によって多少の疼痛軽減、筋力低下防止等の効果が認められるが、最終的に右自覚症状は残存した(<証拠略>)。
(四) 総合せき損センターでの治療(昭和六一年八月二七日から平成三年五月一三日まで)
昭和六一年八月二七日に前記総合せき損センターにおいて「頸椎後縦靭帯骨化症」の傷病名で受診しているが、特に治療は受けておらず、その後の同六三年八月一日にも「頸椎後縦靭帯骨化症」の傷病名で受診し、投薬による通院治療を受けた。当時の自覚症状は項頸部痛、腰痛、左肩の締め付けるような痛み、背部の圧迫感、左手指の痛みなどであったが、レントゲン及びCTによって認められる他覚的所見は頸椎後縦靭帯骨化症であり、右自覚症状との関係は明らかではない。旧傷病との因果関係について、担当の芝医師は、原告から本件事故の申し出があった前記同六一年八月二七日の時点で既に受傷から八か月以上を経過しており、因果関係の判定は難しいとしながらも、既存の後縦靭帯骨化に外傷が誘因となって発症若しくは症状増悪することはありうる旨の意見を述べており、平成元年六月二六日時点の症状は治療開始からほぼ不変であった(<証拠略>)。
また、平成元年一一月二九日に再受診したが他覚的所見に変化はなく、旧傷病との因果関係について、右担当の芝医師は、直接的かつ密接な医学的因果関係はないと考えられる旨の意見を述べている(<証拠略>)。
(五) 江藤外科胃腸科医院での治療(平成元年八月七日から同年一一月二五日まで)
福岡県嘉穂郡庄内町所在の江藤外科胃腸科医院において「頸椎後縦靭帯骨化症」の傷病名で受診し、平成元年八月一一日まで通院、同月一七日から入院し、その間牽引、低周波、湿布等の理学療法、注射並びに消炎鎮痛剤の投与等の治療を受けた(<証拠略>)。
当時の自覚症状は頸部から背部にかけての疼痛及び両側手指の痺れ感である。本件事故との因果関係については説明不能とした上で、もともと頸椎後縦靭帯骨化症があるため、事故が引き金となって症状が出現することもありうる旨の意見を述べている。当初治療によって症状に変化がなく、治療適応を決めるため各種検査の受検を指導するが、手術を希望しないため検査を受けず、保存療法による治療を継続したものである(<証拠略>)。
三 労災保険法上の再発
1 再発の要件
労働基準法七七条が、労働者の業務上の負傷又は疾病がなおったときに身体に障害が残存する場合があることを前提とし、その傷害(ママ)の程度に応じて障害補償を行う旨を定めていることからすれば、同法七五条にいう療養補償の対象となるのは、負傷又は疾病の発生したときから、右負傷又は疾病の症状が固定し、これを改善するための効果的な治療が期待できない状態、すなわち、治癒の状態に至ったときまでの療養であると解するのが相当であり、この理は、同条に基づく療養のため、労働することができないために賃金を受けない場合に行われる同法七六条一項の休業補償についても同様である。
右労働基準法七五条及び七六条の解釈によれば、労働者の業務上の負傷又は疾病が一旦治癒した後再発したとして、労災保険法一三条の療養補償給付又は同法一四条の休業補償給付がなされる場合は、<1>旧傷病と現傷病との間に医学上の相当因果関係が存在することのほか、<2>現傷病の症状が旧傷病の症状に比して増悪していること、<3>現傷病に対する治療がその症状を改善すると期待できることが必要であるというべきである。
2 本件についての検討
前記二で認定した本件事実関係において、原告の現傷病が右1で述べた労災保険法上の再発の要件を充足するか否かについて検討する。
(一) 因果関係について
本件原告の現傷病について、田中医師が「傷害がヒキガネとなって肩凝り、腰痛を引き起こした」との意見を述べていることは前記二4(一)のとおりであり、旧傷病との因果関係が存在することを前提としているようにもみられる。
しかしながら、原告には頸椎後縦靱帯骨化症の既往症が認められること、現傷病に対する昭和六一年六月一日以降の各診療機関の診断名も、田中外科医院における「頸腰部捻挫及び変形性脊椎症」、飯塚病院における「変形性脊椎症」、飯塚整形外科医院における「腰筋痛、背筋痛」ないし「腰筋痛、項筋痛」、総合せき損センターをはじめその他の診療機関における「頸椎後縦靱帯骨化症」と統一性があるとはいえないこと、右田中医師を除き、原告の旧傷病と現傷病の間の医学上の因果関係を具体的に認める意見を述べる医師はいないこと、及び、田中医師自身も福岡労災保険審査官の調査に対して「症状悪化と記載しているが、これは患者の訴えであって他覚的所見によるものではない。すなわち、患者の訴える症状は症状固定時期と同じ症状とみてよい。」と述べており(<証拠略>)、前記の意見が必ずしも旧傷病との医学上の因果関係を認める趣旨ではない旨補足していることからすれば、原告の旧傷病と現傷病の間に医学上の相当因果関係が存在するとまで認めることは困難である。
(二) 症状の増悪について
現傷病が旧傷病に比してその症状において増悪しているか否かについて、田中医師の意見における症状悪化(<証拠略>)は原告の訴えによるもので、他覚的所見によるものではないことは田中医師の審査請求調査書にあるとおりであり(<証拠略>)、原告も症状固定時において左手指の先から左肘にかけて痛みがあった旨述べている(原告本人)。
しかしながら、頸腰部捻挫のように他覚的所見を見いだしがたい傷病におけるその症状の増悪の有無の判断に当たっては、他覚的所見のみならず自覚症状をも判断の資料として重視する必要があるところ、症状固定の診断後約二か月を経過した後、原告が症状悪化を訴えて約五年間にわたって複数の医療機関を各受診していることは前記二4で認定したとおりであり、右の経過からすれば、原告の現傷病が旧傷病に比してその症状において増悪しているというべきである。
(三) 症状改善の期待性
前記二4で認定したとおり、原告の現傷病の症状は、胃潰瘍によるものと思われる吐血等を除けば、左肩から左手指の先に至る痺れ及び頸部から背部を経て腰部に至る上肢の痛みを中心とするものであり、各医療機関で理学療法をはじめ各種の保存療法ないし対症療法を受けたが、現傷病に対する治療内容が医療機関によって大きく変化したとも認められず、その症状にも根本的な改善がみられなかったこと、さらには、原告自身も、昭和六一年当時と比べて自分の症状に逆らわないように上手に付き合うことを習得した旨、一連の治療によっても症状が改善しなかったことを自認しているともとれる供述をしていることも併せ考えると、原告の現傷病に対する治療がその症状を改善すると期待できると認めることはできない。
(四) よって、原告の現傷病については、旧傷病との因果関係及びその症状改善の期待性を認めることができず、結局原告の現傷病は労災保険法上の再発の要件を充足するものではないというべきである。
四 結論
以上によれば、原告の現傷病を労災保険法上の再発と認めず、療養補償給付及び休業補償給付を支給しなかった被告の各処分は適法であり、原告の本訴請求は理由がないからこれらをいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 草野芳郎 裁判官 岡田治 裁判官 杜下弘記)